キャロライン洋子の本名は?

キャロライン洋子は1960年代〜1970年代にかけて子役として活動していた人なので、そもそも存在を知っていること自体がおじさん・おばさんの証拠なのだが、ふと「そういえば、キャロライン洋子って今はなにやってるんだ?」と疑問におもった。とりあえずインターネット検索を掛けてみると、こんな記述が見つかった。

キャロライン洋子(本名カフ・C・ナーン)は上智大学卒業後、1981年にオレゴン州立大コンピューター学科・同大学院首席卒業し、現在はヒューレット・バッカード社のAI開発指導部でソフトの研究開発のお偉いさん

へーっと思ったのだが、他の検索結果も一応見てみると …… どれもほとんど同じことが書いてある。どれがオリジナルかはもう分からないけど、どうやらみんなで引き写しあった感じ。みんなでコピーしているとしたら、情報の信憑性はかなり怪しい。

そこで、まずキャロライン洋子側の基本情報からチェックをかけてみることにした。複数のソースから、キャロライン洋子の誕生年は1962年らしいことがわかった。1970年代の日本には飛び級制度がなかったので、上智大学を日本で卒業したとしたら最短コースでも1962+22=1984年までかかるはず。あれ。上智大学を卒業可能なのが1984年以降なのに、その後に行ったはずのオレゴン州立大学を 1981年に卒業してる? これはどう考えてもヘンだ。さらに、上智大学のWebからはキャロライン洋子もカフ・C・ナーンも見つからなかった。

そこで、「オレゴン州立大学コンピュータ学科」という情報からオレゴン州立大学の公式webを「カフ」をキーワードに検索してみる。カフに相当しそうな綴りはいくつかあるが、結局 Koffで Koff, Caroline N.という人がM.S. in Computer Scienceを 1988年に取ったという記述が見つかった。これは大学の公式サイトの情報だから、自分のところの卒業生に関してはそう大きな嘘はないだろう。あれ? 年が違う。「1981年に卒業した」のに1988年に修士取ったの? 大学公式サイトに載っている卒業生の学位取得年と、正体不明のWebの卒業年でどちらを信じるかといえば、当然前者。1988年なら、1962年生まれのキャロライン洋子がオレゴンに行ってから修士号を取ったとしてもつじつまが合うくらいの年でもある。

でもまだ、Koff, Caroline Nさんとキャロライン洋子が同一人物であるかどうかは分からない。そこで、Koffさんの情報をもう少し探してみることにした。1980年代にコンピュータ科学を専攻していた院生だったら netnewsに投稿したことくらいあるだろうし、その後技術者として仕事をしているのなら、おそらく特許の1本や2本は出しているだろうという読みから、netnewsと特許情報を Koffさんについて検索してみると、オレゴンにいたKoffさんは、確かに大学院のときは AIの研究をしていて、日本語とのバイリンガルで、HP社に入社して、HPから特許を出願したことがあることまで分かった。「日本語とのバイリンガル」「HPに入社」「AIを研究」なんていうキーワードがそれっぽいが、まだ大きな問題が1つのこっている。それは本名である。

オレゴン州立大学の情報だと姓が Koff、ファーストネームがCaroline、ミドルネームが N. となっているけど、日本語の情報だと、ナーンが姓、ファーストネームがカフ、ミドルネームが C.になっている。更に調べると、オレゴン州立大学に居た人の N.は Nanということまでわかった。つまり、オレゴン州立大学にいた Koffさんは「キャロライン・ナーン・カフ」。順番を変えれば日本語の情報と同じだが、姓が Koffなのとナーンなのを「順番変えれば同じジャン」というのはあまり強引。ひょっとして、 Koff, Caroline Nanと書いてあったのを、","を無視して解釈したのか? 確かに西洋人は ファーストネーム ミドルネーム ラストネーム という順序で名前を書くことが多いけど、文献参照などでは姓を最初に持ってきてその後に ","を入れるという記法もよく使われる。といっても論文などで参考文献を見慣れてない人にはあまり知られてない可能性が高いので Koff, Caroline Nanを誤読した結果「カフ・C・ナーン」になってしまった可能性は否定できないが、全然別人かもしれない。

なんせ古い話なので、インターネット検索では厳しいと判断し、次は書誌データベースに検索範囲を広げてみた。すると、1986年に出版された「黒い瞳と星条旗」というキャロライン洋子の本の第1章は「オレゴンだより」と分かったので、キャロライン洋子がオレゴンに行ったことまでは多分本当らしい。本を入手しようとしてみたが、「黒い瞳と星条旗」は古い本なので既に絶版。しかし図書館には持っているところもあったので相互貸借サービスで借りてきてみた。するといろいろ面白いことがわかった。特にこの本が有益だったのは、オレゴンからHPに行った Koffさんがキャロライン洋子と同一人物であることがほぼ確認できた点。同じ時期に同じ学科で同じ分野を研究している同姓同名の人が二人以上いるというケースでなければ、キャロライン洋子がHPに行ったという経路は確認できたと見ていいだろう。本から分かったことを整理すると、以下のようになる。

さて、以上の調査で、インターネット検索で見つかったキャロライン洋子の大学卒業年・本名は間違っていることがわかった。こういう基本情報が間違っていると、本当に首席卒業でヒューレットパッカード社でAIの偉い人なのかどうかも疑わしい。本名や卒業年が怪しいということは、首席という情報も原資料に当たってないことを意味するし、HP内でのポジションもちゃんと調べたとは思えない。

ここで、もう一度 web検索で出てきた情報を見直してみよう

キャロライン洋子(本名カフ・C・ナーン)は上智大学卒業後、1981年にオレゴン州立大コンピューター学科・同大学院首席卒業し、現在はヒューレット・バッカード社のAI開発指導部でソフトの研究開発のお偉いさん

この記事にツッコミを入れると、

もう、ダメダメですね。どうすればここまで間違えられるのかと思うくらいホントのことが書いてない。

同じフォーマットでここまで分かった情報を情報を書くとこんな感じか? 「キャロライン洋子(本名キャロライン・ナーン・カフ)は上智大学を1年で中退し 1981年にオレゴン州立大学に入学。コンピュータサイエンスを専攻。修士論文を1988年5月に提出して M. S. in Computer Scienceを取得。卒業時に首席だったかどうかは不明。同年8月のAI関係の学会で報告しているが、そのときは HPの人として報告しており、特許もHPの人として出したものがあるので HPに入社してしばらく在籍したことは確か。ただし、現在AI開発指導部のお偉いさんかどうかは確認できていない」

一連の裏取り調査で分かったことは、誰かがもっともらしい嘘(あるいは錯誤)を書くと、それがそのまま大量に引き写されて考えナシな検索エンジンによって提供されるという構造がWebの世界には確実に存在するということ。みんな悪気はないのかもしれないけど、裏を取る手間を掛けずに無責任にコピペしてる姿が浮き彫りになった。

追記: 最近気づいたのですが、Wikipediaがほぼ正しい情報で書き換えられていました。動的にデータが変わっていくのもインターネットの特性なので、そのうちにカフ・C・ナーンさんは Web上にいなくなってしまうかもしれません。